車椅子生活

手術で左手を切っているので、かなり痛そうで「痛い」「痛い」の連呼だ。トイレも自力では難しいので、看護師さんにお願いして車椅子で外の大きなトイレで用を足すことになる。
食事はまずくて食べることができないというので、何か欲しいものをと聞くと
ヨーグルト、茶碗蒸し、卵、ローストbeefというではないか
明日買ってくるとはなして、そのまま帰る

生まれて初めての手術

阿佐ヶ谷の河北病院で左上腕骨折手術がお昼から始まる。手術は大体二時間程度だか、麻酔をしたり用意があるので午後一杯かかるめそうだ、兄も待機するので、大人が二人いても何もすることがないので、5時過ぎに終わるというので夕方出直してくることにした。
5時過ぎに病院に行くと、ちょうど終わったところで看護室の隣の大部屋にいると言う。手術したばっかりなので、面会は30分程度で終わるようにと指示があり、兄と交代で病室に入る。
母は、小さな声で
「いたい」「いたい」「なんかへんなの」「いかないで」「いかないで」「手がおかしい」と
「いかないで」「ここにいて」と何度も話しているが、30分の面会時間のためこれ以上は難しく、そのまま何気なく退室する。

手術のため入院

朝、車で河北病院へ9時に
入院の手続きをして病室へ
トイレのある個室に入るが、左手が使えず一人では起きれないので車いすで看護師さんに付き添われて大きな共同のトイレに

夜のトイレは交代で介護

夜のトイレは、一人で対応すると疲弊するのでツレと交代で対応することにした。ツレは12時過ぎまで起きているので夜の初めはツレが対応して、それ以降は私が対応することにした。
明日から病院なので、トイレに行く途中で転ぶことも ないし、少し気分的にも安心するきがした。

左腕が折れたまま自宅待機

すぐに手術してもらえると思っていたら、結構日数があるのがびっくり。そんなに立て込んでいるのか、手術できる先生がいないのか、病院の都合なので、こちらで早くしてほしいと話してもどうにもならないのでしょうがない。
痛いと、たしかに骨が折れているので、痛いのでどうにかしてやりたいがどうにもならない。
左手が使えないので、ベットから起きるのも一苦労で、そのまま転んでしまう。なので、一度横になると起き上がる時に変え添えが必要なのだ。昼間は自分でどうにかガンバったようだが、さすがに夜は難しいので、トイレのカエゾエヲしてほしいと、小さな声でお願いコールがあった。
夜中のトイレは11時、2時、4,5時と3-4回あった。
流石に、これが毎日だと榮美子さんの介護は結構大変かもしれないと、うろたえる気持ちがあった。

玄関先で転倒、左上腕骨折

夜に兄から電話があり、「今河北病院にいる」と
阿佐ヶ谷の榮美子さん玄関先で、夕方転んで起き上がれなくなさったと。兄は同じ敷地内に住んでいるので、携帯電話で転んで動けないと連絡したそうだ。立てなくなったので、抱えて家まで運び、そのまま救急車で河北病院に搬送。レントゲンやMRAの検査をして
「左上腕骨折」
太い腕の骨が上に突き出たように2本に見える。「このままでは、自然につくことはないので、手術して骨の中にチタンを入れて、ボルトで留めるワウになる」と骨がくっつくようになるのは8週過ぎからになるので、それまでは腕を動かさないように。手術は水曜日に入院して木曜日に行うのでそれまで家で待機するように」との指示があった。
ということは、一人ではいられないので、中野の私のところに来ることになったのが、事の始まりだった。